星期一, 2月 07, 2011

劍道形最後三式小太刀乃真の形・行の形・草の形


真・行・草
 小太刀には、昔から「真・行・草」の心を持って遣えという教えがあります。
 「真・行・草」というのは、日本の芸道における精神的な段階を表すものと考えられおり、それぞれ次のような意味を持っています。
 「真」というのは書法における楷書に相当するものです。一字一画もゆるがせにない油断のない心です。剣道では、堂々として寸分も隙のない厳重な構えから、相手に少しの余裕も与えずに、「直ちに斬って捨てる態度」を表現しています。
 「行」は行書に相当します。字画も柔らかい日常生活の感覚で、「真」を実際の状況に応じて臨機応変に行う心です。剣道では、相手の変化と技を「いったんとがめて、その後斬り捨てる態度」を表現しています。
 「草」は草書に相当します。無構えのように心広くゆったりのびのびした気分で超然とした心です。剣道では、相手の技を「十分尽くさせて、敵に従って勝つ態度」を表現しています。
 剣道形の小太刀3本を修練するにあたっては、このような精神的な段階を十分にわきまえておくことも大切でしょう。

真·行·草

 短刀,從很早以前有「真·行·草」的心有所說的使用教導。

 所謂「真·行·草」,被考慮表示在日本的技藝之道上(裡)能放的精神的階段的東西在,有著象各自下面一樣的意義。

 所謂「真」為在筆法的楷書相當於。一字一畫也是對疏忽沒有的疏忽大意沒有的心。劍術,堂堂些許從間隙沒有的嚴格的樣子,將稍微的富餘也不給予對方,也表現著「立刻斬捨的態度」。

 「行」為行書相當於。筆畫也是是柔軟的日常生活的感覺,按照實際的狀況隨機應變地進行「真正」的心。劍術,表現著對方的變化和技能「一旦責難,後斬捨的態度」。

 「草」為草書相當於。是以像無樣子一樣地心寬廣地寬敞舒適地舒展地做的心情超然的心。劍術,表現著對方的技能「充分地使之竭盡,追隨敵人勝的態度」。

 在練習劍術形的短刀3個時,充分地預先懂得這樣的精神的階段的也重要。

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