https://matsubarakendo.com/kendo/hanashi07.html 松原劍道 劍友會 網頁中的 劍道物語
此篇網上日文文章,無意搜到,素來是文章會找人,一種能量磁場效應,是存在的。 提議使用電腦看,可用翻譯程式譯成中文,但專有名稱都要看回日文,中日對照來看較完整。
現節錄兩段精華來引導大家去深閱此篇長文:
第一點講出了何解日本道場要訓練孩子青少年大聲回答話和打招呼,不要扭扭擰擰細細聲,這個 東京久明舘久保舘長生前都是如此嚴格要求,但很少人能理解其中教育的意義為何。而他們那一輩人是視劍道是教育的。
中村藤吉範士の訓
大きな声を出す
私が中村藤吉範士のところに入門して、最初に指導されたのは、【大きな声を出すこと】と【声は体全体で出す】ということでした。田舎の貧乏な家に育った私は極端に声が小さかったのです。【大きな声】を出していると、剣道で大切な丹田に力が自然に入るようになるとも教えられました。真剣をとって幾多の修羅場を経験したという師の声は、大きく独特な迫力がありました。
次に注意されたのは【呼ばれたら間髪を入れず大きな声で返事をする】ことでした。最近は自分の名前を呼ばれても「ハイ」と返事をする人が非常に少ないようですが、師が数間離れた座敷から声を掛けられても、大きな声で返事をし、すぐに師の所へ行く。【間髪を入れず】返事をし動作を起こすことは、剣道の『石火の機(柳生流)』を自得することであったと考えます。少し声が出せるようになってくると【大きな声で挨拶をする】ことをやかましく指導されました。挨拶とは禅語で【近づく】【引き出す】という意味があり、人間生活の最も大切な規範であるとも云われました。
朝起きると師の部屋に「お早うございます」と挨拶に行くのですが、声が小さかったり、はっきり云わないとよく叱られました。声を出すことは剣道修行の第一歩ですが、師はそれを日々の生活の中で指導されました。【大きな声で返事ができ、挨拶が出来る人】は、実社会では好感をもって迎えられます。後年、私が会社に入って、営業で拡販の為に顧客を訪問したとき、新しい職場の長となって赴任したおりなど、師に躾けていただいた【大きな声で挨拶をする】ことが、私を大いに助けてくれました。
電腦譯文:
中村藤吉範士的戒律
大聲回應及招呼
當我開始跟隨中村藤吉漢什學習時,我被教導的第一件事就是「大聲說話」和「用你的整個身體說話」。我生長在農村的一個貧困家庭,所以我的聲音很低。我還被教導說,如果你發出很大的聲音,你的力量就會自然地流入劍道中,這在劍道中很重要。老師的聲音,說他認真對待劍,經歷過很多風波,聲音洪亮,獨特有力。
接下來我被警告的事情是,接到電話時要大聲回應,不要錯過任何一個節拍。如今,當被叫到名字時,似乎很少有人會說“嗨”,但即使他們的老師在幾個座位之外的榻榻米房間裡喊他們,他們也會大聲回應並立即回應你。我相信,毫不猶豫地做出反應並採取行動,就是獲得劍道的「石火の機(柳生流)」。當孩子們能夠大聲說話時,就大聲指示他們大聲打招呼。問候在禪宗語言中具有「接」和「引」的含義(註),被認為是人類生活最重要的標準。
當我早上醒來時,我會去老師的房間說“早上好”,但他經常因為我說話太輕或說不清楚而責罵我。大聲說話是劍道訓練的第一步,但我的老師在日常生活中教會了我這一點。 [能夠大聲回應並與他人打招呼的人]在現實世界中受到歡迎。後來幾年,當我加入公司並拜訪客戶以擴大銷售時,我的導師教我如何大聲迎接客戶,例如當我被任命為新工作場所的負責人時,對我幫助很大。
註:禪宗的施教方式不拘一格,不落窠臼,生動活潑。有時採用棒喝的動作接引方式,看起來粗魯,其實用心良苦,出發點是本之於善意,別無惡意。先舉德山棒,然後再舉臨濟喝,其例子如下:
1.德山棒:雪峰問: 「從上宗乘學人還有分也?」師(德山)打一棒曰:「道什麼?」曰:「不會。」至明日,請益,師曰:「我宗無語句,實無一法與人」,峰因此有省。(指月錄)此一公案說明德山用棒的目的在於截斷學人思路之執著性,然後才能體悟諸法之真相。
2.臨濟喝:例如臨濟 見徑山,徑山方舉頭,師(臨濟)便喝,徑山擬開口,師拂袖便行。(指月錄)臨濟的「喝」具有四種作用:①斬除情解,寸絲不留。②阻遏情解生起。③勘驗學人(修行人)功夫之深淺。④有時一喝含有「不敢獨諱」之作用。[48]可見臨濟的施教方式具有獨特的教育功能—啟發心靈的內在潛能。
何解要打掃道場和整潔,這段有講。好多人說日本人好乾淨勤打掃是其風俗,那日人只知其一不知其二,其實乃日本人生活受到禪宗的影響。
●掃除は心を磨く第一歩。
あらゆる・道・の修行は、掃除(清掃、整理、整頓)から始まります。私も中村先生宅では、毎朝自分の部屋は勿論、道場・庭・廊下の掃除をしました。
師の部屋と座敷は師自らなさいました。座敷には刀剣・槍・弓矢・薙刀や鎧などの武具の他に得難い骨董品が有り、そのひとつひとつをきれいに磨くのを時々手伝いましたが、その折々に教えられたことは今でも忘れることはできません。
『自分の生活する身辺をきれいに掃除することは、自分自身の心を磨くことで、武道修行の第一歩であり、掃除が立派にできるようになればどんなこともできるようになる。体を動かすことで足・腰が鍛えられる。『今日は休みたいナァ』という気持ちにうち克って継続することで克己心が育ち、人の目に触れない所までも気を配ってきれいにすることで注意力が、置物等を飾ることでバランス感覚が養われる。終わって用具をキチンとかたづけることで物事の始末ができるようになる等々。掃除は人間を磨く為の基本的な行である。』
現在は当時(昭和二十八年頃)とは掃除の仕方も違って大変楽になりましたが、根本は変わらないと思います。私も師の年齢に近くなった今、本当に師の教えの通り掃除ができているかどうか反省しています。
道歌に・急、去、尽、受、居、迷、来(打突の好機)、動静写し看る明鏡の台・とあります。心を澄ます稽古をすることで、相手の心身の動きが良く看えるようになり、打突の好機を逃さないようになると云う意味ですが、その第一歩である掃除を積極的に行いたいと考えています。
電腦譯文:
●淨化是淨化心靈的第一步。
任何道路的訓練都是從清潔(清潔、分類、整理)開始的。每天早上在中村老師家裡,我不僅打掃房間,還打掃道場、花園和走廊。
主人的房間和客廳都是主人親自設計的。客廳裡除了劍、槍、弓箭、戟、鎧甲等兵器外,還有珍稀的古董,我有時還幫忙打磨每一件,但我至今都忘不了那些次從你那裡學到的東西。
“打掃周圍的環境,是練武的第一步,可以煉心,打掃乾淨了,什麼事情都能做。”透過移動身體,您可以增強腿部和下背部的力量。透過克服「我今天想休息一天」的感覺並繼續這樣做,你會養成自律意識,透過注意和清潔別人看不到的地方,你會培養注意力,並透過裝飾等來培養平衡感。完成後,你可以妥善收起你的工具並把事情做好等等。清潔是人類進步的一項基本行為。 」
如今,清潔方法已經不同,而且比那時(1945 年左右)容易得多,但我認為基本原理是一樣的。
現在我已經接近老師的年齡了,我正在反思我是否真的按照老師教我的那樣打掃。
道詩中有:突、走、終、受、留、徘徊、來(進攻的良機),以及反映動作和景象的鏡台。透過練習清心,你就能更了解對手的心理和身體動作,就能避免錯過出擊的好機會,但第一步就是主動清理對手。
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中村太郎範士の訓
■自分の弟子や後輩あるいは部下であっても、その人が自分と面識の無い人と一緒の場合は礼儀を忘れてはいけない
『俺は(先生)、京都の街角などで弟子や後輩、仲間などが誰かと歩いている姿に気付いたら、俺の方から先に挨拶をするように心掛けているヨ。』
剣道界では戦前から平安遷都の古事にならって毎年五月三日~六日(頃)に京都の武徳殿へ全国の達剣の士を集めて稽古会や大会を催すのが常になっており、その時期京都の街は武道家でいっぱいになるのです。
前述の言葉は先生が実力、人気ともに絶頂期にあった頃のことで、私は自身を顧みて教えられることがあると思います。
私のような体育会系の人の中には、自分の権威を誇示しようとして、弟子や後輩が連れている人の前でやたらに威張る人をよく見かけます。
本人はどう思っているか知りませんが関係の無い他人から見ると、これほど見苦しく滑稽な光景はありません。
運動部の人達だけでなくサラリーマンの中にも似たような人を見うけるのは大変残念なことです。
幕臣でありながら明治維新に活躍し天皇の侍従まで勤めた山岡鉄舟(無刀流開祖)は剣禅一如の境地に至って剣聖と崇(あが)められている人ですが、その稽古は峻烈(しゅんれつ)であったと伝えられています。しかし、弟子に対しても言葉づかいなど丁寧で慈父のように慕われていたそうです。
私たちは鑑にすべきだと思います。
電腦譯文:
中村半士太郎的戒律
■與不認識的人在一起時,不要忘記保持禮貌,即使他們是你的弟子、晚輩或下屬。
「當我(老師)注意到學生、初級同事或同事在京都的街角走動時,我會嘗試先向他們打招呼。 」
在劍道界,從戰前開始,每年5月3日至5月6日,繼平安都遷都的古老事件之後,每年5月3日至5月6日,都會聚集來自全國各地的劍術高手,在京都武德殿舉行訓練和比賽那個時期,京都的街道上到處都是武者。
我上面說的這些話是在我能力和人氣最巔峰的時候說的,我想我可以透過反思自己來教你們一些東西。
我常常看到像我這樣熱愛運動的人在有學生或後輩陪同的人面前過於專橫,試圖炫耀自己的權威。
我不知道對方自己怎麼想,但從一個陌生人的角度來看,沒有什麼比這更不雅觀、更可笑的了。
不僅在體育俱樂部,而且在辦公室工作人員中也能看到這樣的人,這是非常不幸的。
山岡鐵舟(武藤流的創始人)曾是幕府家臣,但活躍於明治維新,甚至擔任過天皇的侍從,據說達到了一葉賢善的境界,被尊為劍客。
不過,據說他對弟子們彬彬有禮,彬彬有禮,像仁慈的父親一樣受到愛戴。
我想我們應該要看一下。
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