星期二, 3月 06, 2018

劍道審查合格上要注意事項的資料譯本 (明白了,便少了偏差,才能有合格機會)



明白了,便少了偏差,才能有合格機會
劍道 訳  
BY:  戴積義 

2 「一拍子のうちが、実はわかりません」
一拍子的打擊,實在不太明白
剣道では頻繁に言われる「一拍子の打ち」。しかしあらためてどんな打ちなのか聞くのもためらわれて…。用語説明をすると、「竹刀の振り上げ振り下ろしと体さばきを一致させ、切れ目なく、一呼吸でする打突」と言えばよいか。具体的には、
劍道中經常說道(一拍子的打擊)。但當再問是什麼形式的打擊就很躊躇了。以用語來說明的話,(將竹刀上下揮動及体捌{出技前的預備体勢組合}一致化,無縫地一下呼吸就打出),具体而言,
「ここからなら打てるという確信が持て間合、打ち間まで入り、そこから一つの動作で左足を蹴って打突する打ち、足を送ったり、継いだり、振りかぶって一呼吸置いたりしない打ちです」(千葉)
千葉說;[當確信有從這裡打出去的適合間距,就進去打擊範圍,在那裡起一個動作用左足撐出並進行打突,或繼續送腳出去,不作單次呼吸或揮舞的動作。]
「手で竹刀を操作しようとすると、振りかぶり、振り下ろす、「イチ、二」という動きになってしまいます。腰から始動し、動きの中で竹刀を操作するといいですよ」(角)
角說;[要用手操作竹刀時,揮動及揮向下,變成(一,二)的動向。由腰開始郁,可說是從動作中操作竹刀]
「踏み込みで右足を上に上げすぎると二拍子になりやすい。すり込むようにして前に踏み込むんです」(篠塚)
篠塚(踏進時右足向上過多時很易變成二拍子,像摺込般向前踏進了。)
構えから打突までが一つの流れで表現できている、それが一拍子の打ちなのである。
  到打突能一氣呵成過表現得到,這就是一拍子打法。

3 「打ちが弱いとやはりマイナスですか?」
打得弱就是負面嗎???
女性や年齢の高い受審者に多い悩みではないだろうか。これに対し、千葉範士は、「打力がなくても冴えがあれば打ちが弱い、とはなりません。冴えで切ることを知っていれば、剣道を知っているな、と評価できます」と言う。
*對女性及高齡者考生來說這是最大煩惱吧。針對這個,千葉說;(就算打得無力但只要打得有冴銳勁 / 清晰冴就不一定是弱。只要知道清晰斬法便等同知道劍道。)
「冴えは耳で聞き分けることができます。大きく振って力まかせの音を出さなくてもいいんです。ただ、女性が特に打ちが弱いといわれるのは、手の内まで力が伝わっていないんですよ。打突の最後の瞬間、手の内が利いていない。だから切った音にも冴えがなくて弱いといわれるんです」
というのは角範士。
*角說;(銳勁 / 清晰是用耳就可以聽得出來的,是無須大力揮動引出聲響也能感知的。)
男性と比べれば女性の力は当然弱い。しかし、それだから打ちが弱いというのは解釈が異なる。打突の好機をとらえて、銳く冴えある一打を放てたなら、それは強度ある一打と言えるようだ。男性と同じタイミングや間合で打突に移ると打ち負けるため、間合の詰めや体さばきで自分の有利な展開にもっていくこと、そうすればきかいのとらえ方や打突の冴えが際立つという。研究しよう。
*跟男性相比女性的力量當然是弱。但不能解釋女性作出的打擊就等如弱。只要捉到打突的好時機,放出有銳勁清晰的一打,這個就可說是有強度的一打了。因為女性跟男性在同時間及間距作出打突易會輸,所以要利用對自己有利的間距及体捌來展開,這樣做才能抓到好時機及清晰地打突,去研究下吧



角 実で打突する

いい機会をとらえても、物打ちでの打突、しかも鋭い打ちでなければ、有効打突になり得ません。打ちが弱かったり、あるいは冴えがない技は、いい攻めをし機会をとらえていても、外れてしまいます。基本的なことになりますが、こうした傾向のある人は、素振りや基本稽古をもっと積んで、物打ちに力が集中する打ち方を身につけましょう。
*就算捉到好時機,但打不到好的打突或銳的打擊都不能算得上有效率。打得弱,或是無清晰的技,通通都是失格。回歸原點,有這個傾向的人必須多做基本練習及(素振 / 空斬),練下集中力及打法。
また、これは構え、気勢、打突すべてに通じることですが、「上虚下実(じょうきょかじつ)」を心がけてほしいと思います。上半身の力抜き、丹田に力を込める。そこから気勢を發し、丹田の充実を持続させる。そうすれば腕からは力が抜けていますから、二の太刀、三の太刀にも冴えのある打突が期待できるのです。ただ手数が多い打ち合い、忙しい打ち合いになってしまって、「これだ」という一本がどうも決まらないという人は、このあたりに気を付けてみてはどうでしょう。
*再者,這是個姿勢,氣勢,打突都通用的,須要一個(上虛下實)的心態。釋放出上半身之力注入去丹田內。以這發出的氣勢去維持充實的丹田。這樣做會從手臂將力量抜出,打出二太刀及三太刀的銳勁 / 清晰都會有期待的效果。但會演變成手續煩多的比試,事實上有誰不知道就是這點呀 ?? 大家不防留意一下。

藤原 集中力をもって無意識の技を
藤原 擁有集中力的無意識技法
打突には、打つべき機会というものがあります。それが的確にとらえられていないと有効打突にはならないのですが、これは距離だけで決まるのではありません。届きそうだと判断したらすぐ打ちを出すという人が少なくありませんが、それでは相手にとってはまったく怖くないのです。ですから簡単に防がれてしまします。機会は、相手とのやり取りの中で生まれるものです。
打突時,會感知到必須作出打擊的時機。不掌握好這點是不能作出有效的打突,這不單只是以距離便能決定到。判斷能打得中便馬上作出打擊的人是不少,這樣對手是完全不會怕的。所以就能簡單地防衛到了。好時機是從跟對手交戰過程中產生的。
そこをつかむには、集中力が大切です。「集中する」とは、面を打つぞ、小手に切るぞと技の組み立てに夢中になるということではありません。相手とのやり取りに気持ちを研ぎ澄ませること、そして自分を信じて打突につなげることだと私は思います。つまり集中力をもって、無意識に技を出す。そうした技が有効打突になるのです。
無意識の技は日々の稽古でそうした状況を数多く経験していればこそ、審査でもでるものです。難しいですが、ぜひ努力してみてください。
捉到這點時,集中力是很重要的。(集中) ~ 並非打面呀、斬小手等技法的組合。其實是要從跟對手的對戰中將對手的心態研究清楚,從中聯繫到信任自己的打突。所以就是說帶著集中力去打出無意識的技法 ,這樣便會成為有效率的打突。無意識的技法是要從每日練習的多數經驗積出來的,就算考試時也會有的。只講很難的,付出努力去做啦。



千葉 初太刀一本しかない
千葉 首發的一刀只一下而己
勝負は、初太刀一本。必ず初太刀で成功するという心構えで臨んでください。
剣道は竹刀(ちくとう)を用いますけれども、元来竹刀は刀という観念で使いましょう、ということになっています。ですから、最初の一太刀で切られたら死んでしまうんです。生きるも死ぬも、一太刀で終わりだ、そうした気持ちで、初太刀に全身全霊をぶつけてください。
勝負只是第一刀。你的心態必須以頭刀作為成功的關鍵來處理。劍道有用到竹刀,但竹刀也是原自刀的觀念來製成。所以第一刀就初斬中就已算是死了。生死一刀決,請以這個心態,全力以赴去打出你的第一刀。
一度きりというのは初太刀もそうですが、審査全体や試合にも言えることです。今の立合はまあまあよくできた、それでは、存分に自分の力を発揮したとは言えないのではないでしょうか。やればもっとできたなどと反省するようでは「後の祭り」です。さらには、初太刀を受けるだけで終わってしまったりするようでは、審査側としてはとても残念に思います。どうか、普段の稽古で一本勝負の稽古を積み重ねるなどして、生死を賭ける気持ちで初太刀の勝負をしてください。
*一回斬就是首發的一刀,考試或比賽也用得著。你有完全發揮好你的力量嗎 ? 完事後只回想如果我當時點做便會嬴,這樣太馬後炮吧。再者,想著接得住頭刀便完場的心理對考試來說太可惜了。請你在平時的練習時也不斷多做一本勝負,以生死作注的心態去面對頭刀。

篠塚 左手主導を心がけて
篠塚 記住要以左手主導
右手主導の打突になっている人には、合格点をあげられませんね。
「どうしても打ちたい」という気持ちが強いと、右手ばかりが強くなって、「打つ、切る」ではなく「当てる」といった感じになります。それとともに姿勢も崩れます。気剣体が不一致になります。左手主導を意識して、正中線をとって打突してください。
*右手主導的打突的人,是很難合格的。(點都想打)的心情強烈時,只增強右手,會變成不是為打打斬斬反而只為了命中。隨即連姿勢都崩壞了,氣//体不能一致。請以左手作主導,攞到正中線來作出打突。
この、正中線を取り合う時ですが、ここですでに右手に力が入ってしまう人がいます。それは手でどうにかしようと思っているからなんですね。そうではなくて、足腰で正中線をとるつもりでいると、うまく攻めることができるでしょう。
*這個攞正中線時,很多人就已經把力量放在右手了。之後想著手要如何動呢。事實並不是這,以足腰去攞正中線,才能做到好的攻勢。
また、打突でもう一つきになるのが「上筋(うわすじ)」に力が入っている人が少なくないことです。上筋とは、打突時に両腕の上側にある筋のこと。意識してほしいのは逆の「下筋(したすじ)」です。左手主導で、小指、薬指で打突すれば自然と下筋での打突になりますから、稽古してみてください。
*再者,從打突便能一致化在(上筋)注入力量的人很少。上筋是打突時双臂上側的筋肌。但正確應該反而是要(下筋)的。以左手主導,用無名指及尾指來打突便自然會用到下筋來打,練習吧。










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