星期日, 4月 09, 2017

無劍理劍道 (剣理なき剣道) 中日對照


時被對手佔了中線,被竹刀頂著胸或喉突,撥開對方竹刀而再打擊,

劍道八段絕對不會做出此種不合劍理的打法。

何以允低段者,或比賽時,出現此種無劍理劍道呢?

若然,劍道八段,乃劍道至高,言則從第一天拿竹刀,便應該有向此種劍法追求之意味和覺悟。雖然可能窮畢生練習,都不能到達,但沿此方向必無疑問。

但何以允許大量不合劍理求取分的競技模式打法出現在劍道比賽呢?

更有出現八段不及選手之打擊取分技巧之言論,

大膽一問,是要劍理,抑或要一分?

如果又要劍理又要一分,那便是八段之方向採選。

若無劍理只要一分,那算是什麼模式的劍道呢?值得鼓勵嗎?

學壞了手法和動作,那又花多少冤枉時間去改呢?

此是現代劍道之精神分裂,令習者無所適從。



剣理なき剣道
打突する時、相手に正中線を取られて、竹刀に胸を押さえられまたは喉を突かれて、相手の竹刀を払ってから打突するのは、剣道八段では絶対にこのような剣理に合わないことをしない。
何故試合の時や低段者にこんな剣理に合わない剣道が許されるのたろうか?
もし剣道八段は剣道最高段であれば、はじめて竹刀を持った日から剣法を極める覚悟をできるはず。たとえ一生かけて稽古してもたどり着かなくても、この志があれば問題ない。
でも、何故たくさんの剣理に合わない、ポイントだけ求めるようなやり方が剣道試合で許されるのだろうか?
さらに八段より普通の選手のほうがポイントを取るのが上手だと言われる話もある。
恐れ入れるが、求めているのは剣理か、それともただの一本か?
剣理も一本もほしければ、八段のほうこそ採納の仕方。
剣理なく、一本だけほしいのは、何の剣道だろう?奨励すべきなのか?
一度間違った技と動きを身につけたら、直すのはどんなに時間かかるだろう。
こんなのは現代剣道の精神と乖離して、修行者がついていけない。


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